息子とただ遊んだ不登校初期

子供の木琴 不登校について

息子は、私が鬱病で退職してすぐ、小1の10月に不登校になりました。

幼稚園のときから集団への不適応がありながらも、
私が朝出勤するときには必死で付いてきて、頑張って通ってくれていたのですが、
どうも私の退職で、糸が切れてしまったようでした。

私の鬱病から息子の不登校が始まったので、
ふたりとも家にいても、
最初のひと月ほどは私の方からはあまり関われませんでした。

息子も息子の方で、最初の頃は学校生活の疲労がたまってたのか、
ぼーっとしてたり、一人で黙々と何かしていることが多かったです。
なので、お昼ご飯のときくらいしか話さなかった気がします。

でも、お互いちょっと良くなってくると、寂しいのが出てきて。
絵本を読んだり、一緒にLaQ(ブロックみたいなもの)をやったり。

私は子供が4歳の頃仕事を始めたので、
退職するまでは平日に遊んでやることがなくなっていたので、
幼稚園以前に戻ったような、新鮮な感じでした。

息子はもともと母子分離が苦手で私にひっついていたい方
(小4の今でも私のトイレが長いと途中で会いにきます(汗))
なので、一緒に遊んでいると膝に載ってきたり、自分の顔を触らせたり、
コチョコチョさせたり、
とにかく機嫌が良く、ニコニコして可愛かったです。

私はどちらかというと人にベタベタするのが苦手な方で、
子供のときもあまり親にくっついていた記憶がありません。
長女で下に妹が二人いたせいもあると思います。

なので、息子が、もう小学校へ上がった子がこんなにひっついてくるのはかなり不思議でした。
(自閉症スペクトラムに「積極奇異型」というタイプがあると知ったのはかなり後(笑))

でも、
「この子は私ができなかった「親に甘える」ということを、目の前で教えてくれているのかもしれないな」
と思うと、有り難くて、ちょっと拝みたいような気がしました。
子供と一緒にいると、「育ち直し」というか、自分の生育過程についての気付きや癒やしが
ちょくちょく起こる気がします。

ただ、私はなかなか鬱症状が完全に消えなかったので、ちょっと遊ぶと疲れてしまい
横になったりしていました。

横になりながら退職した情けなさや悔しさを思い出して涙が出るときもありましたが、
毎日息子と一緒にいられるのは素敵なことでした。

まるで過ぎた時間を吸い戻すように私にくっついてくる息子の笑顔と可愛さ。
息子も育ち直そうとしているのかもしれない、
子供の力ってすごいなあ、と思いました。

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