息子の折れ線型自閉症、退行の原因について

不登校について
fujikamaによるPixabayからの画像

小学校中学年の息子が「折れ線型自閉症」と診断されました。
今は良くしゃべる子ですけどね。


息子は自分の興味のあることをいきなり滔々と語り始めます(困)
しかも主語なしに(泣)

「ママ、地蔵ってどうやったらいいの?」

「ふえー? どこのお地蔵さんのこと?(近所にお地蔵さんないです)」
「タヌキになるでしょ、それから」
あー、ゲームのマリオのやつか~。

というような感じです(笑)
これは、話の切りがいいところで、
「人と話すときは主語を付けようね」
と繰り返し伝えるようにしています。
最近は少しはできるようになってきたかなと思います。

折れ線型について、息子が言語的な退行を起こしたのは一歳半を少し過ぎた頃でした。

二語文らしきものも出てきていたのに、気がつけばほぼウーウーしか言わなくなっていました。

通常失語と同時に社会的な行動(指差し、目を合わせる等)の退行も起こるそうなのですが、息子の場合そちらは目立ちませんでした。

息子の言語消失のきっかけとなったのは私の入院である可能性が高いそうです。
私は独身時代からずっと子宮頸部の高度異形成(がんの一歩手前)が続いていて、
産後落ち着いたら手術をすることを勧められていました。
それで、息子が離乳したのを機に手術をしたのです。

2週間ほど、私の夫の両親に預かってもらいました。
手術が済んだ頃、義両親が息子を連れて面会に来てくれました。
久々に会った息子は、もう着せてなかったロンパースを着せられていて、
ムチムチでかわいいったらありませんでした。

息子はとにかく私とくっついていたがる子で、私がトイレに行っても泣く子だったので、
私はかなり疲れていて、
入院で少し離れることに正直少しほっとしていました。
少し育児に休憩をもらったような気持ちで、病院のベッドに着いたとき安堵の涙が出ました。

でも、その別離が息子にとっては大きなショックだったらしいのです。
そして、言葉が消えました。

折れ線型自閉症の子は社会的なストレスへの脆弱性がある場合が多いそうです。
そして、1-2歳の間に本人の耐性を超える社会的なストレスが起きた場合、
それが退行のきっかけとなるとされています。

言語消失、社会的行動の喪失などの退行の原因は、
親との別離、死別など定型発達の子供にとっても大きなものもありますが、
引っ越し、下の子が生まれて親の構い方が減った、など、通常の生育の想定内の出来事も
退行が起こったきっかけとして報告されています。



折れ線型自閉症の子の社会的な弱さは生涯続くため、
親や周囲がその特性を理解し、良い環境を提供し続けることが必要だそうです。

今回診断をしてくださった医師は、
特別支援学校等への転学も視野に入れるべきだと仰ってました。
不登校が出た時点で、かなり精神的な傷を受けているはずだから、と。

家で子供と話をしてみましたが、
「学校、大変だけど、みんなと一緒にいたい気持ちもある」
との事で、すぐにどうしたら良いかは分かりませんでした。

小さい頃から
「先生大好き」「来年も同じ先生がいい」「クラスの子に家で遊ぼうと言われた、嬉しい」
「小学校はずっとここ」
と、対人関係で傷つき、登校拒否になりながらも、
学校で出会う人々に対して好意的な態度を持ち続けている積極奇異型の息子。
いままで積み上げてきた小学校生活を私がここで変えてしまっても良いものか、
それとも、息子の気持ちと環境をすり合わせることができるのか、
私はまだ答えを出せずにいます。

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