学校が辛い発達障害児、「解離」で生き延びていました

汚れた黒板 kiyochanとADHD

久しぶりの更新です。
先週から、どうも私の精神的なポンコツが治らずで、
ブログもいくつか下書きを作ったものの、心ここにあらずで書ききることができませんでした。

頭があまりにも働かないので、これは鬱が来てるのかな、とも思ったり。
しかし、昨日気分を変えようと図書館で読書してみたら、はかどるはかどる。
もともと早読みな方なので、一時間半ほどで5冊読めました。

どうやら、家にいると息子の事、これからの進路についてや、最近の癇癪など、
あれこれ考えてしまうので、集中できていないようです。

さて、今日は息子の体育参観日でした。

今年は去年と同じく運動会が中止になり、
その代わりとして、各学年1時限ずつで競技を披露する
参観日が行われたのでした。

息子は競技に出ませんでした。
昨日から
「すべてがうろおぼえ」
と宣言していたので、完璧主義の息子には難しかったのかもしれません。
教室から二人で、息子と同い年の子達のダンスや障害物競走を眺めていました。

複雑な気分もあるだろうな、とは思いましたが、お友達大好きな息子は
同学年の子たちのダンスをニコニコしながら眺めていました。

競技を観終わった後、息子が学校の中を私の手を引いたままうろうろし始めました。
不安定な気持ちの息子を校内に放っておくわけにもいかず、
また、競技に出るつもりでもないのに頑張って学校に来た息子を守ってやりたくって、
ずっと息子の手を握っていました。

しかし、私は学校の中を逃げるようにウロウロする息子に手を引かれて歩く内に、
次第にお腹の底からイライラし始めるのを感じました。

はじめは、時間が無計画に経っていくことにイライラしているのかなと思っていたのですが、
私はその時、自分が学校に通っていた頃の不安定な気持ちの中に入ってしまったようです。

私は発達障害のため集団生活や学校になじむことができず、
また教室にいるのも感覚的にしんどさを感じていて、学校に行きたくない気持ちが強くありました。

しかしその当時発達障害の概念はまだ世の中にはなく、理解はありませんでした。
親も私が学校へ行かないことを許してはくれなかったので、
私は重たい体を引きずって、
朝でも昼でもない時間に、一人で小学校へ歩いて行っていました。

ひどく辛かった、嵐のような毎日でした。
いつの間にか、色んな不思議なものを見たり、感じたりするようになっていました。
今思えば、解離性障害の症状に当てはまるものがたくさんあります。

小学生のときは、身の回りに虹色の光の輪が見えていて、それが体を締め付けたりゆるんだりして、
いつも拘束されている感覚があり、しんどかったです。

中学校の頃には光の輪は消えましたが、代わりに幻覚を良く見るようになりました。
「自分は何か精神病ではないか?」
と思って、家の本棚にあった『家庭の医学』という本を調べたら、
幻覚を見る病気として”精神分裂病”(今の統合失調症)が載っています。
昔は非常に予後の悪い病気でした。。。
これは、もし親に言ったら精神病院に入れられてそのまま出てこられないかもしれないな…
と思い、親や他の大人には話さないことにしました。

また、同じ頃離人症状も起こるようになっていました。

離人症とは、自分が自分でないような、自分の外に自分がいるような感覚を覚える症状です。
私は学校では良く自分本体よりも上の方に浮いていて、自分を眺めていることがありました。

学校ではいつも、霧や幻の中にいるようでした。

これら解離性障害に含まれる症状が起こったのは、
私は学校へ行かないという選択肢が取れなかったので、
自分の心の一部を切り離して自分の心を守っていた、防衛機構だと想われます。

神様が、私を生き延びさせるためにくださった贈り物だとも思っています。

私は現在では解離症状はほとんど無くなりましたが、
心が「今ここ」から外れやすいです。
また、何か急に困ったことが起こると、すぐ自分がすっ飛んでモヤの中に入ってしまいます。
ほんとにまだまだ、修行以前の心の修復も必要な心理士です(汗)

これはひとつだけ解離で良かった(?)ことなのですが、
自分から解離するということがまだできます。
病院や歯科で痛い治療を受けるときは、自分から離脱して上から見ています。
ある意味特技です(笑)

学校へ行きたくない子に無理をさせることは
子供の心に非常に大きなダメージを与えます。
親は子供のためにと、さまざまな手法で子供を学校へ行かせようとしますが、
子供の心の中で起こっていることを思えば、悪意も意図も無く起こる不幸な虐待だと思っています。
私も同じく、自分の息子が小1で不登校になったとき、なんとかまた登校してくれればと思い、
辛い思いをさせてしまった時期があります。

不登校は学校に何らかの問題を抱えてしまった子供の心の表現です。
学校へ行かないことには、何らかの肯定的な意図があります。
それを理解することなく登校をさせることは、火事が鎮火しないのに家を建てるようなもので、
親はしばらくすれば次の悩みを抱えることになるでしょう。

まずは、子供と対話し、理解することが必要ではないでしょうか。

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