ADHDのkiyochan、子供の頃は自閉症スペクトラム特性が強かった

色とりどりの鉛筆 kiyochanとADHD
色とりどりの鉛筆とシャープナー

ADHDとASDにはかなり関連性があり、
併発例がかなりあると言われています。
また、自閉症者の41-78%がADHDを合併している、という研究もあります。
注意欠如・多動性障害(ADHD)合併 自閉症の新しい発症メカニズムの解明

以前、精神科の診断がDSM-Ⅳ という米国精神医学会の精神疾患の診断・統計マニュアルに
基づいて行われていた時代は
ADHDかASD(自閉スペクトラム症)か、どっちか1つの診断名しか付けられなかったため、
併発の診断はありませんでした。

しかし、2013年にDSM-ⅣからDSM-Ⅴへのアップデートが行われ、
自閉スペクトラム症とADHDの併存診断が認められるようになりました。

私は注意欠陥優勢型ADHDと診断されていますが、
子供の頃は自閉症スペクトラムに多いとされる特徴を複数持っていました。
最近はかなり薄くなりました~。
発達障害って、加齢で症状が変化しますよね。

自閉症の3つの特徴(ローナ・ウイングの3徴)

「社会性の障害」:社会的なルールや暗黙の了解、常識などに則って行動することが難しい。

・「コミュニケーションの障害」:感情や考えを理解したり、表現したりするのが難しい。

・「イマジネーションの障害」:特定の物への興味やこだわりが強く、明確でないものが苦手。

短くまとめてますが、この3つが揃うのが、自閉症(ASD)の特徴とされています。

「社会性の障害」kiyochanの場合
幼稚園の頃は、集団で遊ぶことが全くできませんでした。
年少組最初の外遊びの時間で何をどうしたら良いのか全くついていけず、既にあきらめを感じました。
一対一や少人数だとわりかし大丈夫だったのですが。

「コミュニケーションの障害」kiyochanの場合
幼稚園の先生が言っていることがときどき宇宙語のように分からないときがありました。

また、幼稚園の先生が折り紙やあやとりを実際に手を動かしてやって見せてくださるのが
真似できず、
幼稚園が終わった後で本を見て覚えたりしていました。

あやとりって、同じあやとりでも違うとり方があったりしますよね。
『ほうき』
って、主なやり方が二種類あるの、わかる方いらっしゃると思います。
習った翌日にもう一度みんなでやってみたときがあって、
一人だけぱっちん(ぱちぱち)ほうきだったので冷や汗をかいた事があります。

「イマジネーションの障害」kiyochanの場合
字がものすごく好きでした。
字が世界を支配していると言っても過言でない、というくらい。

それぞれ固有に重みや色・匂いがあるので、字は覚えるというより感じるものでした。

字がついているものなら何でも好きで、
公園でお菓子の袋が落ちていると、拾って裏の原材料名を読んだりしているタイプ
(そんなタイプない)、変わった子でした。

両親は全く読み聞かせとかしないタイプでしたが、
毎月幼稚園からもらってくる学習雑誌とか、家にある本、それから新聞などを見ては
分からない字を親に尋ね、どんどん覚えていきました。
いくらか読めるようになると、国語辞典は友達(笑)
年中からは漢字を読み始めて、小学生になると家の百科事典を読んでいました。

共感覚、フォトグラフィックメモリなど、視覚に関連する特性が強かったです。

授業中板書しながら先生の話を聴く、という2つの作業が同時にできなかったので、
黒板がいっぱいになるまでは先生の話を聴き、
黒板が埋まったときに頭の中に写真として焼き付けて、一気にノートに写していました。

小~中学生の頃は幻覚も良く見えていました。

成長とともにASD特性は薄くなっていった

私の場合、高校生くらいになるとASDの特性は薄れていきました。
それまでのように一度見ただけでは記憶できなくなり、
勉強のため、手を動かして勉強したり、復習することが必要になりました。
それまでのように、複雑な文を頭に感覚的に落とし込むこともできなくなりました。
そのため「私は馬鹿になったんだろうか」
と、ひとりで悩んでいた時期があります。

その頃は親を信用しなくなっていたし、
腹を割って話せる友達もいませんでした。
なので、自分の精神的な悩みは全部自分の中だけに閉じ込めていました。
強くなりたい、と、自分の努力でどうにかしようと思うしかありませんでした。

中学生の頃、
色川武大っていう、ナルコレプシーという疾患を持っている作家のエッセイを良く読んでいました。
色川氏は所構わず起こる睡眠発作や激しい疲労感、異常な食欲などの症状に悩まされながら、
それでも自分らしく、美しさも正しさもない自嘲の中で、自分のかたちで、人と交わりながら、
氏のエッセイの中で生きておられました。
私も、強くならなくても、年を取っていけるスペースがどこかにあるのかもしれない、と空想しながら繰り返し読んでいました。

発達障害の理解がほとんどなかったあの頃、話せたとて解決方法はなかったかもだけど、
私の障害と共にあってくれる人が本当に欲しかったです。



ASDの特性が薄くなっていった時期、他の人との行動がしやすくなっていった気はしています。
「ほんのりと」ですけどね。
出っ張った部分が引っ込むと、他の部分が伸びるのかな。
でも、今も決して対人関係が得意というレベルにはなっていません。

自分の特性を活かして豊かな対人関係を育んでいる方もおられますし、
ここは人それぞれなのかな、と思います。

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