息子の不登校は親のせいだと思っていました。

息子は小1のときに不登校になりました。
母が鬱で仕事を辞めたのを機に、プツリと頑張りの糸が切れたように。
その経過はこちらで書きました。

不登校になった息子は、当初一日中パジャマで布団のあたりにいて、
私はこのままどうなるのだろうと不安でした。

その頃私は午前中いっぱい体が動かない事が多く、
朝は息子に冷蔵庫の何を朝食に食べたらいいかを伝え、
学校に欠席の連絡をしてから、また布団でウトウトしている日々がひと月ほど続きました。
息子の不登校について、何かしてやることはできませんでした。

担任の先生は毎日夕方に電話をくださって、
おかげで息子は学校とつながっていることができました。

先生は、学校へ来てほしい、ということを言いさえすれど、
来ないことを責めることはありませんでした。

しばらくすると私は回復してきて、
そうなると、息子が学校へ行けないことを問題として考え、
解決法を探し始めました。

今なら、それが短絡的だったことが分かります。

しかし、その頃の私は、
自分の鬱が子供に負担を掛けて不登校に追いやったと自分を責め、
不登校を解決するのが親の責任だと思っていました。

なので、
不登校の解消に向け、色々な方法を試行錯誤していきます。
コンプリメント、トークンエコノミー、
などを試しました。
それぞれについて、確かに登校回数を増やす効果がありました。
それらについて、実際にどう適用していたかは
またの機会に書きます。

しかし、不登校の息子と毎日過ごしているうちに、
「息子は問題行動をしているのか?」
「不幸なのか?」
というような疑問が次第に湧き出てきました。

息子は家にいると、ママ、ママ、とニコニコくっついてきます。
最低限の世話しかしない鬱の母親を責める訳でもなく、
むしろ、母が食事の支度ができないときは自分から買って出てくれたりしました。

あの頃息子が作ってくれていた、玉ねぎも塩も入っていないハンバーグと、
ざく切りのキャベツをコンソメの素で煮込んだスープは、
今でも忘れられない暖かい味です。


多忙で遅く帰ってくる夫と、私と息子、
美味しい美味しいと、感謝していただいていました。

不登校でもそれなりに楽しく前向きに過ごしている息子、
でも、今の状態でいいのかな?
私はこれから、息子に何をしてあげられるだろう?

息子と接しているうちに、
少しずつ、一元的な考え方から抜け出していきました。

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